思考酒後

自分に入ってきた情報を定着、深化するために文章化

MENU

差があるから幸せを感じるんだと思う。


  こんにちはmasaです。
  彼女と実質同棲を始めて1ヶ月経ちます。同棲当初はすごく幸せでした。
  一緒に起きて、一緒に家を出て、一緒に帰って、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て。
  寝るときに「おいおい、幸せかよ。」と思う日々でした。

  今は慣れちゃったのであまり幸せを感じなくなってきてしまいました。理由は生活に差を感じなくなったからだと思ってます。

   今回はそんなお話。

 

結局、差があるから幸せに感じる

 

  • 今まで望んでいたことを手にする
  • 今までできなかったことができるようになる

 

  そんなときに一時的に幸せを感じて、飽きて何事もない日常になっていくんだと思います。
  常に幸せを感じられたらいいのに…

 

違う差を味わう

  彼女と住んで1人の時間がなくなり、同時に選択肢が減りました。

  • 食べるものは一緒に選ぶから自分の意見が通らなくなる
  • 見たいテレビを常に観れるわけじゃない
  • 好きな時間に寝れない

 

  そして何と言っても

  • 気を遣わずに生きることができなくなりました

 

  例えば、

  • 彼女が寝てる時は静かに行動する
  • 家事の配分のバランス調整
  • 性行為の調整(嫌いってわけではないです、むしろ好きですけど…

 

そしてまた違う差を味わう

  先日、彼女が家におらず久しぶりに自分勝手に生活をしました。

 

  • 風呂場で全力で歌う
  • ネットもテレビも自分勝手
  • 飯も好きなものを好きなだけ好きなタイミングで食う

 

  今まで当たり前にできたことができなくなって、知らない間にできてたことができなくなってて、またできたときに幸せを感じました…。

 

差をどうやって感じるか。

  基本的にあるべき姿は、

  • できない→できる→幸せ→慣れる→別のできないことができるようになる→幸せ…

  のループが望ましいと思いますし、目指すべきだと思います。

 

かといって

  • 常にできないことがあるわけじゃないし
  • 常にできないことを克服できるかと言われるとそうじゃないし

  だから、

  • できる→できなくなる→できる…

のループも幸せだなって気付きました。

 

  だから幸せを感じてないなら敢えて制限してできなくして、そしてそれを解放してできるようにするっていうのもアリなんじゃないかと思ったわけです。

 

  できるようになることを望んでたのに、できるようになるとできなくなることを望んだり、何をしたいのか良くわからなくなりました。

 

おしまい( ´⚰︎` )